旧日本軍性奴隷問題の解決を求める           全国同時企画・京都のブログ

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韓国訪問報告

5/19~21に韓国で開催されたアジア連帯会議に、京都から4人で参加してきました。いつもながら、なかなかのハードスケジュールで疲れてしまいましたが、とりあえず
●連帯会議で日本からの参加者で相談し、行動提起ができたこと
●京都に招待したフィリピンのロラ、台湾のアマー、韓国のハルモニ達と再会できたこと
●初めましてのハルモニと交流できたこと
●インドネシアの若い支援者と交流し、現地の状況が聞けたこと
●韓国実行委や、連帯会議のスタッフをしていた子たちと交流できたこと
●ナヌムの家を訪れられたこと、水曜集会に参加できたこと
などなど、ひとつひとつの出来事や出会いが充実した意義深い旅となりました。
以下、韓国滞在中の出来事を日記風に報告します。適当に読み飛ばしてください。

5月19日(土)
昼、韓国・仁川空港に到着。日本からの参加者一同、バスで会場へ移動。
東京のハイナンNETの子と再会。やはり同世代の子がいるのは嬉しいですね。
夕方6時からレセプションパーティー。各国各団体の代表者が歌・踊りを披露。
日本の参加者は、腹話術、おてもやん、河内音頭水曜デモ版を・・・
フィリピンのロラ・ピラールは自ら作詞した「慰安婦の人生」という歌を朗々と歌い、台湾の秀妹アマーは「お手てつないで」「鳩ぽっぽ」を歌った後に、台湾の支援者が歌う“かもめの歌”にあわせてパタパタ羽ばたく真似をしながら踊って(踊らされて)いました。か、かわいい、、、わたしも秀妹アマーと手をつないで壇上にあがり、一緒に歌を歌いました。

5月20日(日)
この日は一日、各国の活動報告でした。
夕食の後は、台湾組と京都&東京組数名で会場近くのカフェに行き交流。秀妹アマーは注文されたカクテルを飲んでゲホッゲホッとむせていました(死ななくてよかった・・・)。
その後、日本からの参加者に声を掛け合って、翌日の会議で何か行動提起ができないかどうかを話し合いました。日本でこれまでこの問題で活動してきた様々な人々が参加しているにも関わらず、何も行動提起できないのはもったいない!ということで、少し強引に京都から呼びかけをさせてもらいました。
具体的には、6月14日(木)昼に国会前で何らかの行動をもつことが決まりました。今のところ、被害女性たちの写真パネルをひとりひとり持って、スタンディングをしたいと考えています。夕方からもどこかいい場所があれば、駅前などでアピールがしたいです。
「もっと効果的なことをした方がいいのでは?」という意見も出されましたが、最終的に準備や呼びかけなどを京都が責任を持ち、場所取りなど東京の方々が協力してくれるかたちで話がまとまりました。
本当は「被害者に直接謝れ」というメッセージをこめて首相官邸前でスタンディングしたいのですが、腹が立つことに国会周辺は規制が多く、あれも駄目、これも駄目と理不尽なことこの上ありません。駅前のスタンディングも、警察が来て「道路使用許可がどうの」と規制をかけてくるそうです。てか、これって憲法違反じゃないですか。「効果」という面で考えても、このような規制によって本当にできること(可能性)がかなり狭められてしまっているのは間違いないと思います。
とにかく、いろいろ知恵を出し合って最大限「効果的」で楽しめる行動を生み出したいので、アイディア募集です!この日は、ぜひみなさん東京でお会いしましょう!!!
さらにこの日は明け方まで、若い参加者を中心に交流をしました。福岡や高知のメンバーとも初対面。今回はけっこう若い人達の参加が多かったので、このような場を持ててよかったです。

5月21日(月)
連帯会議最終日。決議文のあたりは意識不明であまり記憶に残っていないのですが、ユン・ジョンオク先生が「宮古島に被害女性の記念碑を建てる計画が進行している」とアピールしていました。一度、訪れてみたいものです。
さて、会議は昼までで終了。わたしたち京都組は、インドネシアから参加していた若い支援者と共にナヌムの家へ移動。エカさんという、酒好きの明るい人で、「なんで昨日の飲み会に誘ってくれなかったの~」と何度も言っていました。夜ナヌムでは、インドネシアの被害女性の写真をパソコンで見せてもらい、今の状況などをいろいろと教えてもらいました。インドネシアでは公的な支援がなく、被害女性たちは家族に「住まわせてもらっている」肩身の狭い立場に置かれている人がいることや、ナヌムにあるような記念館をつくりたいという話などをしていました。
しかし残念なことに一緒に飲もう!という約束は果たせず。疲れきったわたしは早々に眠りに落ちてしまいました。

5月22日(火)
ナヌムの朝食時間は8時からだったそうですが、早起きのハルモニ達は待ちきれずどんどん時間が早まって、この日は7時20分に朝食を知らせる鐘がガンガン鳴りました。わたし達が食堂に入った頃には、もちろんハルモニ達はすでにご飯を食べ始めています。
前日は到着が遅かったので、ここで初めてハルモニ達にご挨拶。食事を終えたハルモニ達は、各々テレビを観たり、散歩をしたり、部屋に戻ったりして過ごしています。
ちょうどこの日は、近くのサウナ経営者がハルモニ達をスーパー銭湯へ招待をしていました。銭湯には李玉善ハルモニ、朴玉仙ハルモニ、姜日出ハルモニ、金順玉ハルモニが参加されました。みなさんそれぞれ全国同時企画で沖縄、大阪、神奈川、高知、福岡、東京などに来られている方ばかりです。金順玉ハルモニは去年8月の靖国行動に来られていたので一度お会いしているはずなのですが、わたしの記憶違いのせいか、だいぶ印象が変わっていて気がつきませんでした。
銭湯には付き添いの人手が足りないからと、わたしたちも突如招待を受けることに。言葉がわからなくても、誰か一緒にいてくれたら安心だということで喜び勇んでついて行きました。お風呂では、ハルモニ達は熱心に垢擦り。お昼ご飯も、机いっぱいに食べきれないほどの料理をご馳走になり、ナヌムに戻った後はすぐに眠りに落ちてしまいました。
4時頃、目を覚まして宿舎の外に出ると、李玉善ハルモニがおられました。ハルモニは寝ている他の京都メンバーを観察した後、「部屋においで」と声をかけてくれました。ハルモニの部屋には写真が所狭しと貼られていて、さらにたくさんのアルバムを引き出しから取り出し、沖縄での写真や大阪での写真をとても嬉しそうに見せてくださいました。机には日本語や韓国語、英語の教科書がたくさん積まれていました。日本語の勉強は毎日されているそうで、わたしも韓国語の勉強を真面目に続けなければ、、、と思わされました。
5時前、金君子ハルモニが「ご飯に行こう」と誘いに来ました。この二人は、まるで夫婦のように仲良しなのだそうです。
ナヌムの家には、連帯会議に参加していたフィリピンのロラ・ピラール、そして支援者のリッチーさんも来られていました。夕食後はハルモニやロラがそれぞれ歌を披露。控えめな印象の朴玉仙ハルモニが本当にきれいな声で歌を歌われ、びっくりしました。さらに場所を移動して、カラオケタイムに突入。途中からどんどんハルモニ達が乱入してきて、歌ったり踊ったりと大騒ぎ。それが9時半過ぎまで続き、ナヌムの家のスタッフが強制終了を告げると、ハルモニからはブーイングが・・・。
金順玉ハルモニは、他のハルモニ達が部屋に戻ってしまった後も、「部屋に飲みに来い」とナヌムの若いスタッフを誘っていました。わたしもそれに便乗し、共にハルモニの部屋へ。金順玉ハルモニの部屋にも、たくさんの写真が貼られていました。李玉善ハルモニも、金順玉ハルモニも明るく社交的なのですが、大切に大切にされたたくさんの写真を見ると、常に人の中にいることを確認していたいというか、そこに逆にハルモニ達の「孤独」というものを感じとってしまいます。

5月23日(水)
韓国滞在最終日。ナヌムからバス、地下鉄を乗り継いで日本大使館へ。到着した頃にはもう水曜集会は始まっていました。水曜集会に参加するのは初めてだったのですが、日本大使館の窓は閉め切られ、職員は誰もこちらを見ようとはしません。それが、とても悲しく感じられました。
この日の水曜集会には、中学生のグループが参加し、はにかみながらシュプレヒコールをしたり踊ったりしていました。李容洙ハルモニはすかさず中学生達に熱い抱擁をしていました。
ロラ・ピラールは積もる気持ちをぶつけるように、日本大使館に向かって力強くアピールをしました。発言が終わった後も気持ちが鎮まらず、「15年も訴えているのに、何ひとつ正義は実現されていない」と興奮したように語っていました。その後、近くの食堂に移動し、昼食をとりながら韓国実行委のメンバーと少し交流することができました。
連日遅寝早起きで、帰ってきてからもしばらくぐったりしていたのですが、たくさんの人と出会い、素敵な時間をもつことができました。ナヌムの家も山に囲まれた静かなところにあり、ハルモニ達が本当に優しくわたしたちを迎え入れてくれました。また、ゆっくり時間をとって訪れたいものです。

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