旧日本軍性奴隷問題の解決を求める           全国同時企画・京都のブログ

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2007年、今年の呼びかけ文

 私がはじめて「証言」を聞き、「慰安婦」(日本軍性奴隷)制度の被害者として受けた筆舌に尽くしがたい体験を訴える方を目にしたのは2004年12月、京都大学で開かれた最初の京都証言集会でした。

そのときの私は「慰安婦」制度の歴史や多くの被害者の人生のことをほぼ何も知りませんでしたが、李容洙ハルモニがなぜ何度も日本や世界中に足を運び、苦痛と闘いながら自分の被害体験に声を与えるのか、会場に座った自分が体で感じるようにして気がついたことを今もずっと感じています。ハルモニの話を聞いていると、子どもや生徒として聞きかじって、あまりに悲惨で遠いことのようにしか思っていなかったその問題が、私とその年配の女性の間のこととして感じられ、これは誰かと誰かが普通に顔を合わせた問題だったんだ、そういう重みをもっていたんだ、とはじめて実感しました。
その数ヶ月後、李容洙ハルモニが再度来日した際に私は偶然、左京区の下宿の近くのお寿司屋さんに誘われ行ってみました。テーブルを囲んだとてもアットホームな席で、ハルモニの日常生活のこと、被害の傷跡に毎日どう向き合っているか、過去に来日した際の苦い思いのこと、ハルモニを囲む人たちの生活のことなどを語りあう温かい様子が私には驚きでした。被害者である女性が日常のなかで自分の人生をその手に取り戻そうと闘っていること、謝罪と賠償を実現することがどれほど困難でもハルモニ自身の尊厳からそれを求めていること、そして私たちの日常のなかで何かができることがじわじわと伝わってきたようでした。
それから私は京都証言集会の仲間たちと、少なくない数のおばあさんの体験を聞き、暮らす場所を訪ね、彼女たちの闘いを目にしました。尊厳の回復のために、「正義の回復のため」に、筆舌に尽くしがたい体験への理解と償いを求めて最後まで闘うと言うおばあさんたちの声に対して、私たち一人ひとりが耳を傾け、おばあさんたちの尊厳に根ざした闘いに私たちの立場から参加することで、現実を動かすことができると信じています。
一人では何もできないかもしれませんが、仲間に教えられ頼りながらこの問題に向かえば、「京都にまた来たい」と言ってくださったおばあさんの言葉をしっかり受け止めて、政府による誠実な認識と賠償を求めていくことができるのではないでしょうか。どうか被害女性の声を聞き、考えるために証言集会に足を運んでください。私たちに何ができるか、話し合い、想像し、ともにおばあさんたちを迎えることができないでしょうか。                              
(実行委員 K.S.A)

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